カルトな日々③若い頃にアメリカに行って驚いた。クッキーがデカい、周りには草原と湖だけ、しかし、Blue Öyster Cultは人気があり、尊敬されていた!!

ブルー・オイスター・カルト(Blue Öyster Cult)

カルトな日々②の続きです。今回の③が最終回です。個人的なエピソードになりますがお付き合いいただければ幸いです。

メタルキッズだった管理人は、ヘヴィ・メタルと共に10代を走り抜けました。当時からの大のお気に入りだったOn Your Feet Or On Your Kneesとカルトの名作を愛聴愛聴。やりたいことをやり続け、拙いながらも自分なりの世界観が出来始めたなと感じていた頃です。メタルの本場でライブを見たい、広い世界に出てみたいと願うようになりました。

自分の本質に沿うことを実行するときには、周りからの反対が少ないのかもしれません。周囲からの賛同も援助も得て、とんとん拍子に話が進みました。19歳大学2年生2学期から1年間、姉妹校へ留学することになったのです。場所はアメリカのミネソタ州元メガデスのデイブ・エレフソン、プリンス、ボブ・ディラン、作家のフィッツジェラルドの故郷であり、大平原で冬はマイナス20度になる。このぐらいしか基礎知識しかありませんでした。

Minnesota州の地図。Minneapolisの左上にSt.Cloudという地方都市があります。管理人はSt.Cloudエリアの大学に留学していました。

語学留学ではなく、大学卒業のための単位を取得する学士留学です。留学先のテストで良いスコアをとらなけければ、自動的に日本の大学は留年。外国に行ったこともない自分が、留学生の少ないアメリカの大学の正規過程で良い成績をおさめることができるのか?無謀なのは承知の上でのチャレンジでした。

私は、とにかく、このチャンスだけは失いたくないと思いました。海外で長期間学ぶ最初で最後のチャンスだとわかっていたのです。今まで50年生きていて気付きましたが、数十年に1回ぐらいの頻度で神様は個人個人に特別な舞台を用意してくださるようです。「さあ、やってみな!」と有形無形の励ましもくださいます。舞台の上で演じる度胸が試されます。チャンスと勇気が試される試練はワンセットなのでしょう。大げさな表現になりますが、Eminemの名曲”Lose Yourself”の心境でしたでしょうか。(極貧の厳しい境遇からラップ界のスターにのし上がったEminemと平々凡々な自分を重ね合わせるのはかなり違うのかもしれませんが)今こそが、自分の人生の勝負の時だと渡米前の私は感じてました。

Eminem “Lose Yourself”
You better lose yourself in the music, the moment,
you own it, you better never let it go
You only get one shot, do not miss your chance to blow
This opportunity comes once in a lifetime, yo
(以下、管理人の和訳です)
音楽に、この瞬間に、すべての自分自身を賭けろ。
チャンスはあんたのもんだ。絶対に手放しちゃだめだ。
たった1発の弾しかないんだぞ。ぶちかませ。
このチャンスは人生で一回きりだぞ。

このような意気込みでアメリカに上陸したものの、機内食を全部残してしまったため、とにかく空腹でどうしようもなかったのです。空港内で周りをみたら店はすべて閉店。お菓子を販売している自販機が視界に入りました。1ドル紙幣をいれて番号を押すと、がたがたと機械が鳴ってクッキーがでてきました。啞然としました。「なにこれ。大きすぎ。私の手のサイズとほぼ同じじゃん!」袋から取り出してかじってみたら、眩暈がしました。「ミネソタ中の砂糖をかき集めて、これつくったんじゃないの?」とにかく甘いのです。どうしたらここまで甘くなるのか?歯が溶けるのではとすら感じました。しかし、慣れとは恐ろしいものです。1年後に帰国する直前に同じクッキーを空港で食べた時はふつうに完食しました。

クッキーを食べた後、ミネアポリス空港から2時間半かかって大学に着きました。寮に荷物を置いたあとまず行ったのが「近所のレコード屋探し」です。村のメインストリートを散策。10分で端から端まで見終わました。よろず雑貨屋とメキシカン料理らしき店、(1日3時間しか営業しない)ファーストアメリカンバンクの窓口、ガソリンスタンド、郵便局のみ。本屋すらありません。地球の最果て?大変なところに着てしまったかもしれない、と初日から思ったのです。そして、なんとしてもレコード屋は探さなければと必死でした。

一方、大学内には購買部があり、割高ではあるものの生活に困らない程度の必需品は購入できました。そこに見慣れた光景が。プリンスの特大ポスターとパープルレインのカセットテープが飾ってあったのです!プリンスはご当地ミネアポリス出身の大スター。他のアーティストとは扱いが違いました。棚をよく見ると、あるある。さすがにメタルバンドのものは置いてないけど、流行しているポップスのカセットが並べてありました。売り子をしていたお兄さん(学生)に勇気をだして話かけました。

私「CD売ってないんですか?」
お兄さん「CDは近くのショッピングモールで買いなよ。すごく近くだよ。」
私「歩いていけますか?」
お兄さん「???車の免許持ってないの?」
私「日本からきて免許はないです。」
お兄さん「僕が君なら、歩かないな。モールはすごく近いけど。まあ、ざっと7マイル。
お兄さん「週末まで待てばショッピングバスがでるから。あ、あと、レコードはないよ。CD屋だよ。」

ここでは、すごく近いが7マイル(11キロ。)実家から立川と同じ距離。モールがあるらしき場所を空港からのバスで通ってきましたが、草原と湖しかなかったのです。本当に大変な場所に来てしまった。と、私は改めて実感しました。1年の長い期間を乗り切るために、本気でなんとかしないといけない。食事が合う合わないよりもそっちが先。すぐに行動に移しました。

学内をウロウロしててすぐにわかったのですが、どこかでたえず音楽が流れています。喫茶店でかかってるような有線BGMではなく、ラジオのようでした。学生たちのスラング多用のおしゃべりは聞き取れなくても、音楽はしっかり耳に入ります。あちこちにおいてあるラジカセに近寄り、バレないようにこっそりチューニングを試してみました。ポップス、カントリー、ヒップホップ、ロック、ゴスペルと聖書朗読、色々なチャンネルがあるようです。そして、しばらく寮で過ごしてみて「ロックだけを24時間流しているラジオ局がある」ことに気づいたのです!!これは画期的な発見でした。何もない田舎で日本人留学生は数人のみ。言葉は通じない。近くCD屋は11キロも先にあり1週間に1度しかいけない。そして何よりも本業の学問の厳しさです。英語のできない自分が大学の授業についていくには、一日10時間ほどの予習と復習が必要でした。寮での生活をスタートして数週間は、辛さと孤独の真っただ中にいました。こんなときに出会ったロック専門のラジオ局、St.Cloud Rock。まさに天から降りてきた蜘蛛の糸。以後、St. Cloud Rockは私の留学生活の大きな支えとなっていきました。今、仕事で使える程度の英語のヒアリング能力があるのも、毎日毎日DJさんのおしゃべりを聞いていたあの日々があったからでしょう。管理人は心からSt. Cloud Rockに感謝しております。

7マイル先の「すごく近くにある」ショッピングセンターでラジカセを購入。St. Cloud Rockから流れてくるロックとともに一日がスタートする生活が始まりました。ロック専門のラジオ局、St. Cloud Rockの存在を知ってからは生活にハリがでてきました。早口のDJが何を言ってるのかわからないけど、かかる曲はスタンダードなロックからヘヴィ・メタルまで好きものばかり。アウェイの海外でホームが存在する安心感。そして気づいたのです。Blue Öyster Cultの曲がしょっちゅうかかっているのです。もしかして、 Blue Öyster Cultはアメリカでは人気があるのか?日本ではオカルト?扱いなバンドだけど、ミネソタの若い人には支持を得られているのか・・これは、新鮮な驚きでした。

学内のどこかのでも頻繁にBÖCを聞きました。それも「死神」と「お前に焦がれて」以外の曲なのです。このことにも私は驚きました。日本で聞いていた米軍向けラジオFEN(現AFN)でたまにそれらがかかることはありましたが、他の曲を耳にすることはほとんどなかったのです。学内で聞いた BÖC は、ラジオだけではありませんでした。個人のカセットテープを個人所有のラジカセで自由に聞いてる学生も少なくなかったのです。St.Cloud Rockの選曲、個人所有のラジカセから流れる音楽両方合わせて、学内で Blue Öyster Cult の曲を聞く回数はとても多かった、と断言できます。

ある秋の日の夜、静かな校内の片隅、図書館喫煙ルーム横。聞き覚えのあるイントロが流れてきたので、ささっとラジカセに寄って徐にボリュームをあげました。ところが、その様子を反対側に座っていた男子学生が見ていたのです。気づいたときには私の手はラジカセの上でした。勝手に触るなとか、うるさいって怒られるかなあ、、と覚悟をしました。すると、その男子学生は「クールな曲だよな。もっと音量あげてもいいんじゃないの?」とニヤニヤ笑いはじめました。「俺は今のカルトは好きじゃないけど、この曲は好きだよ。」と。その時にかかっていた曲は”Black Blade”でした。喫煙ルーム横で”Black Blade”が鳴り響く。私とその男子学生以外にも数人男子学生がいました。全員が同じように大学のフーディを着て、寒い中、だまって座ってカルトの”Black Blade”を聞いた張りつめたようなシュールな雰囲気。今でも鮮明に覚えています。

留学先の大学学内でかかっていた Blue Öyster Cult の曲ベスト5 1990-1991年
かかってた頻度順(管理人調べ。大雑把です。)
1 Black Blade
2 Veteran Of The Psychic Wars
3 (Don’t ) Fear the Reaper
4 Godzilla
5 The Marshall Plan

とても興味深いのは、アメリカ大学の学生には、がっつりと深みのある名曲というよりはスケールの大きな大作志向の曲が好まれていたことです。一番のヒット曲「死神」がラジオで頻繁にかかるのはわかりますが、”Black Blade” ”Veteran Of The Psychic Wars” や”The Marshall Plan”はかなり意外でした。特に、”Black Blade”は学内でよく聞きました。魔力のある不気味な刀、刀の力に持ち主が支配されてしまうのではないかと怯える・・ストーリー性のある面白い歌詞、ちまちましていない感じがアメリカの学生にはウケていたのでしょうか。

1980年にリリースされたCultösaurus Erectus。大学内で人気があり、ラジオでもよくかかっていた”Black Blade”と"The Marshall Plan”が収録されています。

日本では周りに同年代のカルトファンがほとんどいませんでしたが、稀に遭遇すると話題にあがるのは「死神」「天文学」「お前に焦がれて」でした。”Black Blade”が大好き!というファンはいなかったと思います。この辺りに日米での Blue Öyster Cultの扱われ方の違いがあると感じます。あちらではマニアックなオカルトバンド扱いではなく、ごくまっとうに尊敬されているベテランバンドである、と私は気づいたのです。St.Cloud Rockで BÖCがかかるときには、かなりの確率で一緒にYESやRUSHがかかってました。(たまにZZ TOP) 私はYESは好きといえるほど聞いてなかったのですが、RUSHは大好きなバンドです。11キロ先の”近所の”CD屋でJudas PriestのPain Killerを買ったときに、店員さんに「学生さん、メタル好きなんだね。他にどんなバンド聞くんだい?」と話しかけられたので「RUSHと Blue Öyster Cult とJudas Priestが好きです。」と答えました。「最高だ。俺はカルトのライブ行ったことあるんだ。クールだろ。」と。店員さんは実際に胸を張って得意気に言いました。私は Blue Öyster Cult のライブに行ったことがなかったので、素直に羨ましいと思ったものです。そして、アメリカではRUSHとJudas Priestの間にBlue Öyster Cultを入れても、違和感を持たれないこともわかりました。普通に大学内で曲がかかり、ロック専門のラジオでもかかり、CD屋の店員さんが好きなバンドだと公言するバンド。キャリアも人気もあるバンドだということでしょう。

日本に帰ってきたときに、同じ大学のポップスファンの先輩に、アメリカではBlue Öyster Cultが人気があってクールなバンドだと思われていたことを話したら「ええ?Plutoちゃん、オ、おカルト?バンド?あっちでオカルトバンドやってたの?すごい行動力だね!」 と話しがすり替わり間違えられ、がっかりしたものです。Youtubeのコメント欄にUnderrated, the most underrated band と書かれるバンド。日本では残念ながら更に認知度が低いのです。微力ではありますが、当ブログを通して一人でも Blue Öyster Cult のファンが増えば管理人は光栄に思います。

カルトな日々はこれにて一旦終わり。今後は、バンドの作品そのものについてなるべく多く語っていきたいと考えております。引き続きよろしくお願いいたします。

追記:残念ながら、現在、St.Cloud Rockの名前のラジオ局は存在しないようです。かつての住所からこちらのラジオ局が継承したのでは?と管理人は推測しました。ハードロックとヘヴィ・メタルバンドのニュースも記載されており、骨のあるロックステーションだと伺えますね!
http://www.rockin101.com/


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