Blue Öyster Cultの『Astronomy:天文学』対訳の解説⑤デスディノーヴァの出自の秘密、地球への思い。

ブルー・オイスター・カルト(Blue Öyster Cult)

前回の続きです。「天文学」後半です。冒頭でスージーとキャリが―再登場します。

The clock strikes twelve and moondrops burst
Out at you from their hiding place
Miss Carrie nurse and Susie dear
Would find themselves at the Four Winds Bar


時計が十二時を打つとき 
月の雫が隠れ家から噴き出し
あなたに滴り落ちる
看護師のミスキャリーも愛しいスージーも
「四方風の亭」に行くことになるだろう

冒頭の光景が繰り返されます。「四方風の亭」に知の源があるとデスディノーヴァはキャリーとスージーに伝えました。キャリーもスージーも「四方風の亭」に行くことになるだろうと歌われています。キャリーもスージーもデスディノーヴァの教えを受け入れたようです。” Miss Carrie nurse and Susie dear Would find themselves at the Four Winds Bar”は極めて英語らしい表現だと思います。仮定法のwouldを使いワンクッション置き、距離感を敢えて出した表現です。「まあ、そうなるよね。自分にはお見通しだけど」というデスディノーヴァの思いが透けてみえるようです。この節のclockにはTheがついています。冒頭はTheなしのClockでした。真夜中を告げているのは「四方風の亭」のあの時計だとわかったからtheがあります。中1で習う英語の極めて基礎的なルールですが、定冠詞一つからも英語と日本語の感覚の違いを実感します。英語と日本語の感覚の違いは、洋楽の歌詞の理解を難しくするときもありますが、違いを面白い!感じることができれば、歌詞に興味を持ちながら曲を長く聞き続けることができると思います。

次の4行は、「天文学」のキーポイントであると管理人は考えます。今まで「???」と脳内に渦を巻いていたデスディノーヴァについての捉えどころのない不明瞭さが一気に解消されるパワーフレーズが登場します。

It’s the nexus of the crisis
And the origin of storms
Just the place to hopelessly
Encounter time and then came me

それは 危機の中枢
嵐の源
絶望的に時と遭遇する場所
そして そんな星に遣わされたのがこのわたし


“It’s the nexus of the crisis And the origin of storms”を見て、私は、「へえ、デスディノーヴァって客観的で自分のことをよくわかってるじゃないの。地球上の危機も嵐もレザンヴィジブルズの下で自分が引き起こしてたということだからね」と思ったのですが、軽い気持ちは次の行で打ちのめされました。“It”” the origin”はデスディノーヴァ自身のことではなかったのです!!!

“Just the place to hopelessly Encounter time”について。これはthe placeについての説明ですね。”to encounter”は不定詞の形容詞的用法、”hoplelessly”は副詞。”Just”は強調。直訳してみると、「時と遭遇するだけの場所。絶望的に。」となります。

「時と遭遇する」の表現は分かりづらいと感じました。そこで、より理解を深めるために「時と遭遇する場所」という表現は誰が用いるのか?考えてみました。時という感覚がない場所から来た人が言うならあり得るかしれません。元々、時の概念がないからでてくる言い回し。私たち人間は産まれてから時が左→右(過去から未来)に流れているという常識の中で生きています。人間にとって時間はあって当然のものなので、時と直面するという感覚は持つことはできないでしょう。しかし、時空を超えた存在が地球上で時間の縛りを受ける場合は、時と遭遇すると表現するかもしれません。

“and then came me”「そして、遣わされたのがこのわたし」なのです。時空を超えたところ、時間の概念のないところから、絶望的に時と遭遇する場所に遣わされたのがこのわたし。つまり、わたしは、時空を超えた宇宙から、時の縛りのある絶望的な地球という場所に遣わされてきたという告白です。

ここで、デスディノーヴァの出自が明らかになりましたね。デスディノーヴァは宇宙からやってきた。地球人ではなかった。レザンヴィジブルズに言い含められて改造人間になった。椅子から転げ落ちるような衝撃ではないでしょうか?デスディノーヴァの出自の秘密を知った時、管理人は初めてこの曲の深淵を覗いた気がしました。地球に悪をもたらし人間を揶揄っていたデスディノーヴァは、実は、レザンヴィジブルズから騙されて揶揄れていたのです。前のブログで、壮大な欺瞞が「天文学」のテーマの一つであると申し上げました。デスディノーヴァは暗躍し人間を巧みに騙して大戦を引き起こした。その後ろでは、レザンヴィジブルズに騙され踊らされたデスディノーヴァがいる。「天文学」の設定自体が二重構造になっている。これが、製作者のSandy PearlmanとBlue Öyster Cultの用意した最強のトリックではないでしょうか?初期の記事でメタ認知能力についてお伝えしました。人間を騙すデスディノーヴァ。デスディノーヴァを騙したレザンヴィジブル。このからくりに気づかないリスナー。この状況をバンドのメンバーが曲を演奏しながら、演奏している自分達を斜に構えてみている。客観的にとらえて遊ぶ。この構造はバンドの文化として初期から現在まで続いてきたものであると思います。 Blue Öyster Cultの独特な世界観は玉ねぎのようではないでしょうか。剥いても剥いても芯にたどりつくことができない、今回の対訳でもそのように感じました。

デスディノーヴァが自分の”仮の”生まれ故郷である地球をどう思っているのかも伺えます。「危機の中枢」「嵐の源」「絶望的に時と遭遇する場所」と散々な言いようです。自分が地球を邪悪に導いたのではなく、自分が遣わされたのが邪悪な星である地球だったと(=人類の邪さにデスディノーヴァは根本的から関わっていない)この部分も、管理人的には椅子から転げ落ちるような衝撃的な告白でした。

デスディノーヴァは地球を良く思っていない。地球の滅亡を暗示していたという論調をネットで拝見したこともあります。デスディノーヴァは地球が嫌いなのか?そりゃ、宇宙人だから。地球人じゃないから。地球の行く末は知らねーしw・・ってところでしょうか。面白い解釈ですが違う可能もあるかなあと私は感じます。なぜデスディノーヴァには人間の女友達がいるのか?スージーが結婚することを話題にするのか?管理人は、地球と地球人に愛着があるからではないか?と思うのです。他の星から地球に遣わされたとはいえ、ニューイングランド生まれの青年だった時期があったわけです。友達がいて(改造人間になったとはいえ)地球人として生きていたのですから、滅びても知らねーしってのは違うのではないのでしょうか。次の節、最終節ではデスディノーヴァが地球の行く末を暗示します。そして、有名すぎるエンディング”Astronomy- A Star”へと続きます。引き続きお付き合いいただければ幸いです。

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